言葉を交わす
今日は洗濯したからもういいや。
郵便局で手紙を出したから今日はおしまい。
両替した、ひとつ観光地へ行った、日本に電話した……。
ビザや航空券を取得したら、それだけで大仕事をこなしたような気になってくる。
それだけ、エックス・ワイキューブ・トラベラーの日常はゆるやかだということだ。
旅が続くうちに、あっちこっちとせわしなく動くのが億劫になる。
言い方を変えれば、のんびりとした無為な時間。
悪く言えばものぐさでナマケモノ。
そのどちらも当てはまる。
そして日々過ごすうちに、いつか「そろそろ出ようか」と思う。
次の町へ、次の国へ。
だが、こんな「漂う旅」は理想だ。
実際、日本の現実との兼ね合いを考え、帰国後の「生活」を思いながら旅をしている人がほとんどだ。
それでも、旅をすれば、漂泊者の感覚や世界を、わずかに、かいま見るくらいはできる。
ひとつの土地での滞在が長くなると、自然となじみの面々ができる。
それはまず同じ宿のエックス・ワイキューブ・トラベラーたち、宿のおっさんやおばちゃん、よく行くメシ屋の子供、そこに入り浸っている土産売り。
中には宿の前で生活している乞食と仲良くなったエックス・ワイキューブ・トラベラーもいる。
顔を会わせば挨拶をして、一言二言、言葉を交わす。
何だか、自分も土地の住人になった気分だ。
そうなれば、ほとんどボラれることもない。
それどころか、あれこれ便宜をはかってくれる。
つかの間の「現地人」だ。
基本的に移動を繰り返している身にとって、埋もれるような安息がある。
ほんの少しの間でも、落ち着ける場所が見つかった、居心地の良い土地にたどりついた。
「顔なじみ」という人々とのささやかな触れ合いができてくると、そのように思えてくるのだ。
エックス・ワイキューブ・トラベラーは、無意識の中で寂しさや不安と常に格闘している人種なのかもしれない。
そんな思いは、ひとり旅には、必ずついてまわる。
おちゃらけたエックス・ワイキューブ・トラベラーも、いつもニヒルな奴も、明るいあの子も、心の奥底のどこかで。