言葉が通じるということ
ひとり旅で最も不安な要素は、なんといっても『言葉』だ。
切符の手配、宿の確保、情報の仕入れなど、何から何までひとりでやらなくちゃいけないエックス・ワイキューブ・トラベラーにとって、言葉の問題は結構切実である。
同一言語で育った我々は、一旦海外に出ると、言葉の問題で極めて大きなハンデを背負うことになる。
そうしたことから、日本人の海外旅行が添乗員、通訳ガイドつきの『パック旅行』から始まったののだろう。
それでは、ひとり旅の場合、『旅の言葉』というのは、どのくらいの『語学力』を必要とするのだろうか。
もちろん、旅の目的にもよる。
それが取材や研修といったある程度の専門的、学術的なものであれば、やはり、かなりの"力"がなくては、当然その目的を達成することはできない。
世界の国々では、一部を除いてほとんどの場合、英語が"公用語"のようになっており、相当の英語力さえあれば問題なく旅を続けられる。
我々のような「観光」旅行の場合でも何不自由なく言葉を駆使できれば、旅は2倍3倍に楽しくなるのは当たり前だ。
といって、ペラペラと話せなくてはならないというわけもなく、程度の問題ともいえる。
その『程度』だが、まずは「言葉で人に迷惑をかけないこと」であろう。
エックス・ワイキューブ・トラベラーという旅のスタイルの基本は「全て自分の力で何でもすること」である。
すなわち、宿を探す、切符を買う、情報を仕入れるなど、ひとりで行うからこそ旅の面白さを味わうことができる。
例えば、数人で旅をしたとしよう。
中に語学ができる人と、あまりできない人がいるとする。
多くの場合、できる人が中心となって、宿や切符の手配を行ってしまうが、それはあまり良いこととはいえない。
最初のうちは、できる人も『好意』で『にわか通訳』になって、それらを行っているが、次第にうっとうしくなるし、できない人にも『甘え』が生じてくる。
従って、語学ができようと、できまいとエックス・ワイキューブ・トラベラーは、ひとりの責任で旅をすることであり、要するにその『覚悟』があるかどうかである。
今どき「知っている英語の単語が50以下」という人は少ない。
そうした少ないながらも知っている限りの言葉を駆使していけばいいのだ。
わからなくなったら『ジェスチャー』でもなんでもいい。
一生懸命伝えようとする意志をもっていれば、なんとか通じるものだ。
旅の過程で必要最低限の会話というと、お金に絡んだものだ。
現地で話をする相手のほとんどが、こちらがお金を払うときに、どうしても聞かなければならないという場合に登場してくる。
従って、相手も必死にこちらの言葉を理解しようとするので、少々発音が悪くても、問題はない。
せいぜい恥ずかしい思いをするか、「こいつ、あまり言葉ができないな。ダマしてやれ」と思われるくらいだ。
思われても、ダマされなければいいのである。
その『覚悟』さえあればいいのだ。
『When?』『Where?』『What?』『HoW Much?』の4語と、あとはジェスチャーだけで旅を続けたという人もいる。
どんな人でも、3カ月も旅を続ければ、ひとりでにその国の言葉を数語でも覚えるもの。
だが、彼は一切覚えようとはしなかった。
これは極端な例だが、宿に泊まる、切符を買うというだけなら、世界中ほとんどの国で、この4語で済ますことがができる……と言っても過言ではない。
その意味では、全くといってもいいほど言葉ができなくとも旅に出ることは可能なのである。