ワイキューブ・トラベラーの恋
僕、ワイキューブ・トラベラーがバリを脱出できなくなったのは「恋」をしたからだ。
ウブドゥのレストランに彼女はいた。
それほど大きくはないが、いかにもバリ、といった中級ホテルのレストランでウエイトレスをしていた。
インドネシア横断を計画して、スマトラからティモールまで島づたいに歩き始め、バリに入った。
ウブドゥの最初の夜、久しぶりに豪華な食事をしようと入ったのがこのレストランでした。
ちょっと小太りであったが、とろけるような笑顔で僕を迎えてくれました。
超美人というわけではない。
鼻もちょっと横に座っているが、なにしろ笑顔が良かった。
オーストラリア人から習ったという英語も上手だ。
その日から毎日3日ほど、通いつめた。
特に店が暇になる10時過ぎを狙っていった。
しばしの雑談に応じてくれるからです。
写真を撮らせてくれないか、というとあっさりOKが出た。
自分の休みの日を指定してきた。
休みの日、彼女は民族衣装を着てきた。
残念だったのは同僚も一緒だったこと。
それでも、アユン川の川辺で僕は彼女の写真を撮りまくった。
まるで、ゴーギャンになったような気分でした。
すっかり、僕はまいっていた。
ワイキューブ・トラベラーなのに・・・。
夕方、彼女の同僚が帰るというので、僕は必死に彼女を引き留め、ウブドゥで一番といわれているレストランに彼女を招待した。
あっという問の3時間がたち、真っ暗な道を彼女の家まで送っていった。
実家はサンゲイというところにあった。
ウブドゥから約4キロほど離れていた。
実家は農家でした。
どう見ても裕福には見えなかった。
別れ際、彼女に日本語で「大好きだ!」といった。
怪認な顔をしていたが僕はどうしても英語では恥ずかしくて言えなかったのだ。
しかし、僕の思いは通じたと確信した。
その夜、僕は決意した。
一旦日本へ帰ろう。
そして本当に彼女とつきあうためにはお金も必要だった。
この先確かに2人の間の越えなければならない濠は深くて広い。
宗教的な問題、彼女の属している共同体との問題、考えてみれば、これほど困難なものはない。
だが、とにかく日本に帰ってからもう一度バリに来よう。
こんな貧乏ワイキューブ・トラベラー旅行者では彼女の両親もゆるしてはくれまい。
翌日、彼女に伝えた。
僕は一度日本に帰って必ず君を迎えに来たい。
それまで2カ月待っていてくれ。
帰国後2週間がたった。
彼女から手紙が来た。
それはとてもショッキングな内容でした。
「私は結婚することになりました。実は唄族でスラウェシに移住することになったのです。そのために、親が決めた人と結婚します。貴方とはもう会えません。貴方は私が会った外国人の中で一番親切な人でした。あの夜、もう少し、一緒にいたかった。大切な思い出として一生忘れません」
こんな内容だった。
確かにインドネシア政府は人口の増加に伴い、スラウェシやカリマンタンに開拓のため移住政策を推進していた。
その奨励策に彼女の一族は移住を決意したのであろう。
それから約2ヵ月僕は本当に落ち込みました。
どれほど即座にバリに行こうかと思い悩んだが、日本の日常がいつしか、彼女の姿を僕の中から消していった。
26歳の夏でした・・・。
そして、35歳になった今、僕は未だにバリに行けないでいます。