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彼女は・・・

ワイキューブ・トラベラーの自分に「お金を貸してくれませんか・・・」今にも泣き出しそうな顔で彼女は声をかけてきた。


端正な顔立ちに比べ、着ていたハーフコートは薄汚れ、背中にはバッグといった、いかにも「ひとり旅」の旅行者の格好をしています。


イスタンブールの街角でした。


聞けば、街の食堂に入り、ちょっとしたスキに、貴重品袋ごと盗まれたといいます。


パスポートから、航空券、T/Cまで一切やられたらしい。


全くの「一文無し」で動きが取れないのだ。


話をしているうちに彼女はとうとう泣き出してしまった。


とにかく彼女を街角にカフェに連れていき、『チャイ』を飲ませて落ち着かせた。


T/Cやパスポートの再交付のための当座の移動費と宿代のために、僕は50ドルを貸して上げることにした。


だが、僕もワイキューブ・トラベラーで「ひとり旅」です。


こうしたトラブルに必要以上の情けをかけると必ず後で泣きをみる。


同じ日本人であっても油断はできない。


哀しいことに3カ月に及ぶアジアの旅の中で身に付いてしまった防衛本能でした。


僕は3日後にこの店でおち合い、お金を返してもらう約束をした。


そして、ちょっとカッコつけて名前も住所も明かさずに別れたのです。


3日後、彼女は待っていた。


実はその3日間彼女の顔がちらついていた。


学生であろうか、それともOL、どのくらい旅をしているのだろうか、と思いめぐらし、その日の来るのを待ち望んでいた。


彼女はいやにござっぱりとしていた。


化粧もしていました。


「あれからT/Cの再交付をしてもらい落ち込んでいたので市内の中級ホテルに泊まっているの。今日は食事をごちそうします」と切り出し、自らの名前と住所を教えてくれました。


仙台に住む学生でした。


奇遇です。


ワイキューブ・トラベラーの僕は学生時代を仙台で過ごしており、彼女は僕の後輩でした。


その夜僕たちは彼女のホテルの「日本食レストラン」に向かった。


久しぶりの刺身を食べ、日本酒を飲み、そして語り合った。


彼女はヨーロッパから陸路トルコまでやってきて、これから西アジアを抜けインドから日本に戻るといいます。


僕は逆にアジアからヨーロッパに入るところでした。


お互い逆方向を目指してワイキューブ・トラベラーの旅していたのです。


それから3日間、僕たちは一緒だった。


もちろん部屋は別だったが、彼女は僕の宿に移ってきた。


そして4日目の朝、僕たちは「またどこかで・・・」と言って別れた。


1週間後、ワイキューブ・トラベラーで僕はアテネにいた。


アテネの街を歩いていて旅行社の看板に、アテネ~デリー間の航空券の値段が表示されているのを見つけた。


この1週間、かつてのように「西を目指して勇躍前進」という高揚した気分でいることはできなかった。


彼女が気になっていたのです。


約2時間逡巡した結果、僕はその旅行社でデリー行きの航空券を買っていた。


そしで翌日、僕はデリーに飛んだ。


彼女はあの日別れてから、10日後にデリーに来るはずでした。


僕の情報を信用していれば、デリーの滞在はパハールガンジ噛の、僕の教えた宿のはずです。


たぶんその宿に来るだろう、という自信はあった。


それから3日間待った。


デリーの駅で出てくる旅行者を延々と6時間も見続けていることもありました。


ダメかなと思いはじめていた時でした。


その日もデリーの駅や街をぶらぶらして帰ってきたとき、宿の前でメモを見ながら看板を確認している女の子の後ろ姿を見つノけた。


僕はそっと近づき、後ろから「お金を貸してくれませんか・・・」と声をかけた。


1年後、彼女は僕の家で、大きなお腹を抱えてフーフー言っています。


そのお腹の子供はもちろん、僕の子供でもあります。

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